奥天昌樹
奥天昌樹は美術史におけるコンテクストを画面上から意図的に取り除くことで、絵画が孕んでしまう美術史的な背景や絵画空間内に配置されたモチーフから伝わってしまう過剰な意味性をシャットアウトし、美術史によって解釈される範囲よりもさらに広く普遍的な感覚で人々が触れることのできる絵画表現に取り組んでいます。
作品との出会いは人と人との出会いのようにアクシデントめいたものとして捉えており、キャンバスをカットし支持体に手を加えることで、作品が設置される空間内でより際立った異物のような存在感と物質感を与えます。シェイプドキャンバスは四角形の紙の隅をちぎるような感覚で 作られており、鑑賞者が矩形のフィールドから解放された絵画空間に飛び込むことを可能にする役割も担っています。
「新生児の甥との出会いから始まり人間としてのアイデンティティを獲得する前の5歳未満の幼児の落書きに原始的な線を感じた」と作家は述べています。作品内の真っさらな線は幼児期だったころの他者の落書きのフォルムであり、マスキングにより画面深部から最前部に表出することで、旧く遥か彼方の洞窟壁画の描き手と筆談するかのように時空を超越しつつ、一つの絵画空間内でそれぞれの存在を繋ぎ合わせます。
幼少期の記憶は本人が覚えているか覚えていないかには関わらず誰もが経験として本来持っているものです。そういった記憶や感覚に鑑賞者が思いを馳せることができるよう、画面の深部に転写した記憶の手がかりを追憶し対話するように絵の具を重ねていきます。そうして層状に被覆されたマスキングを最後に剥がすことで、これまでの絵の具の階層を貫く白いラインを残してフィニッシュします。この行程の理由を作家は「描画材が生まれる前の線の成り立ちは轍や削られた溝のようなものが最初であり、その理屈で言うと線というのは凹凸になっているのが自然である」と語っています。
真っさらな白線とエフェクトだけが残され何か中心が抜け落ちたような絵画空間は、人物の気配だけが焼きつけられた不在のポートレートのようでもあります。これは自身の存在感をあえて作品に残さないことで、画面に描いた他者の痕跡を純度の高い状態で見てもらいたいという姿勢の現れです。作者すら作品のコンテクストに含まれてしまうということを踏まえた上での選択でもあります。一連の制作において作者は自身の存在を作品から消していくアプローチをしていますが、どこか生きた痕跡や気配が漂います。
Selected works
putona #21
2022
Oil, Acrylic on Canvas
W970 × H 1303mm
naughty
2021
アクリル、油彩、キャンバス
W220 x H273mm
Installation View